城と庭について,、そのパーツなどで訳を解読出来ればと思います。

2016年10月11日火曜日

慈光院庭園


寛文3年(1663年)に石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立。慈光院の名は父・貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から採られています。境内全体が茶室として設計されており、石州の美意識が具現化されたもののようです。
座敷から眺める東側、奈良の青垣と呼ばれる山々から南側の大刈り込みまで連続してつながるワイドスクリーンの風景が素晴らしいです。写真は2枚です。
 


ここでの大刈り込みは庭に出てみるとわかりますが、観音堂をくるんだ形になっていて屋根のあたりだけが見えます。刈り込みの両側を囲まれた中、石段を上がって行き、観音堂でお参りした後、振り返ると屋敷内で見た時より、高い視点で風景を楽しむことができます。

以下、思いつきです。
ここと名古屋城二之丸庭園の権現山と同じではないかと思います。もちろん名古屋城の方は石段などスケールアップしていますし、拝殿・本殿と多分権現造りで、周りは杦(杉のことだと思います)に囲まれているなど尾張徳川家のアレンジがあると思います。初期の二之丸庭園ではこのような神社などはなく、江戸時代後期にはできています。慈光院庭園は1663年ですので時期的にはあっています。また石州は4代将軍家綱のお茶指南役になっていて、各地の大名も学んでいるようです。その中に尾張徳川家があって、石州の影響で庭を造り直した可能性は大きいと思います。
配置図、慈光院と二之丸庭園権現山付近です。


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