城と庭について,、そのパーツなどで訳を解読出来ればと思います。

2016年10月28日金曜日

安土城の石垣

 石垣と全く関係ないかもしれませんが、ひょっとしてというアイデアです。鎌倉から南北朝にかけての石造品の数です。


にある滋賀県の各市町村での数を調べて見ました。単純に数えるのはダメだろうと思い、その地域の人口で割ってみました。
 国勢調査の人口なので問題ありますが、目安になるかもというグラフです。


 図の矢印のところが近江八幡市で安土町を含みます。周りに比べて石造物が少ないように思われます。これが、安土城が出来たときに周辺の石造物を石垣に転用した影響であると言えるのかどうか。忘れてしまいそうなので、これまたメモ書きです。

追記:2016/10/29
 羽田神社の石灯籠(滋賀県東近江市上羽田町2257)
説明板には有りませんが、安土から移転したらしいです。竿の部分に正応元年(1298)の紀年銘がり、鎌倉時代後期を示しているとのことです。羽田神社の社歴によれば、天正九年伊達中納言政宗の領地になり代々寄進再建を加えられたとあり、また天正七年(1579)に安土城天守が完成しています。この頃に移動があった可能性はあります。

 

2016年10月11日火曜日

慈光院庭園


寛文3年(1663年)に石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立。慈光院の名は父・貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から採られています。境内全体が茶室として設計されており、石州の美意識が具現化されたもののようです。
座敷から眺める東側、奈良の青垣と呼ばれる山々から南側の大刈り込みまで連続してつながるワイドスクリーンの風景が素晴らしいです。写真は2枚です。
 


ここでの大刈り込みは庭に出てみるとわかりますが、観音堂をくるんだ形になっていて屋根のあたりだけが見えます。刈り込みの両側を囲まれた中、石段を上がって行き、観音堂でお参りした後、振り返ると屋敷内で見た時より、高い視点で風景を楽しむことができます。

以下、思いつきです。
ここと名古屋城二之丸庭園の権現山と同じではないかと思います。もちろん名古屋城の方は石段などスケールアップしていますし、拝殿・本殿と多分権現造りで、周りは杦(杉のことだと思います)に囲まれているなど尾張徳川家のアレンジがあると思います。初期の二之丸庭園ではこのような神社などはなく、江戸時代後期にはできています。慈光院庭園は1663年ですので時期的にはあっています。また石州は4代将軍家綱のお茶指南役になっていて、各地の大名も学んでいるようです。その中に尾張徳川家があって、石州の影響で庭を造り直した可能性は大きいと思います。
配置図、慈光院と二之丸庭園権現山付近です。