城と庭について,、そのパーツなどで訳を解読出来ればと思います。

2016年9月24日土曜日

明治の金閣寺・銀閣寺

庭とは関係ないですが。
京都名所撮影という明治初期に発売された写真集らしいです。
(日文研の資料より)
金閣寺と銀閣寺です。金閣寺などは2階に廊下状のものがあり、
銀閣寺も障子らしきものがぼろぼろで、廃仏毀釈の影響かもしれませんが、びっくりしました。


2016年9月12日月曜日

名古屋城二之丸庭園

9月5日に名古屋城に出かけました。


二之丸庭園マップです。現在のものです。マップがないとまったくわかりません。当然、人はおりません。


御城御庭絵図、江戸時代後期のものです。復原目標らしいです。

二之丸東庭園、南池
上の図の右下の池です。
御城御庭絵図に南池では、池の中に島が見えます。
実際は深さがあり、隠れているとのことで、今後詳しく調べられるようです。

中央の石のあたりに島があったようです。

権現山(上の写真)
山頂に本殿・拝殿の跡があるそうです。今は立入禁止です。中央に石の階段が見えます。手前の石橋から渡って行くのだと思いますが、仮の石橋のようで横に落ちそうです。
頂上にいってみたいと思いましたら、映像がありました。この橋の左、写真の左下の小島は亀島のように見えます。池の底にへばりついているような感じで枯れ池かもしれません。


赤坂山
前の写真の左手に(西側)に中島があります。赤坂山と呼ぶようです。西側から見たのが次の写真です。
この島を通って権現山の方に行けそうです。写真の奥の方に斜めの石段が見えます。

亀?
この中島の右手にびっくりしました。顔に見えます。

山の間を回遊する庭で、異常に山が多いように感じました。栄螺山(サザエヤマ)はシートをかぶせてあったように思いますが、雨が降り出しそうになり、あせってしまい、今は二子山・笹巻山の区別がわかりません。多分、二子山。てんこ盛りのイメージです。





あと、名古屋城のジオラマの写真で、二之丸庭園の位置がわかると思います。
左が二之丸庭園、右が天守閣です。
庭も、木とか育ちすぎです。修復されて見通しが良くなれば、立体感のある庭に復活すると思います。
名古屋城、本丸御殿とかほかの所も良かったです。1枚だけ追加。

旧二之丸東二之門
この門は移築されてきたものですが、中央は清正石と呼ばれる名古屋城で最大の石材で、ワンポイントになってます。

篠山城

正方形のシンプルな形の城です。天守閣は家康の命令でもともとありませんが、石垣や堀などの遺構が原形を残しているとのことです。注目すべきは城の出入り口の緩衝的な馬出が2カ所残っています。
南馬出が一番大きく、今も城からこちらに出て行くことができます。
 
 

埋門跡(ウズミモンアト)
普通は、非常時には埋めて城外と遮断するところといいますが、ここは違うと思います。広すぎます。おそらく石段3方向から攻撃することを考えたのでしょう。

石垣
南側の三の丸から見ています。右手の一段上がったところが天守台、中央の木の間に埋門があります。そこからスロープを降りて、写真ではわかりませんが、内堀があり、埋め立てた道を渡って出てきます。

元は南廊下門を渡るようですが、今はありません。南馬出から南門、三の丸、南廊下門、埋門と入っていくようです。


庭園跡
埋門のそばに庭園があったそうで、築山があり、ここから埋める土を用意できるとは思います。
可能性は低いですが。図では緑の築山の左上の長方形が埋門です。

東馬出の方はきちんと形が残っています。


2016年9月8日木曜日

金沢城 河北門

再建されたもののようです。


石垣を見たら、かなり左右対称に見えます。
古い時代の石垣ではなく、平成の時代の石垣であることを示すためなのかと思いました。
中央部の石を見やすいようしたのを見てください。

本当は上の写真が元ですので、こちらは見やすいように加工しました。これも見やすくないようなので色つきにしてみました。次の図です。

忘れないうちにアップしておきます。