城と庭について,、そのパーツなどで訳を解読出来ればと思います。

2016年5月16日月曜日

浜離宮恩賜庭園

 土曜日(2016.05.14)に出かけてきました。新橋駅より歩きで大手門橋から入りました。ここは枡型大手門で江戸城の出城の役目もあったというのにも納得するものがあります。
三百年の松、6代将軍家宣が、庭園を大改修したおりに植えたと伝えられる黒松。


内堀の船着き、上の写真の中央部、階段状になっているところ。
船遊びで使用されたものと思ってましたが、江戸城に物資を運び込む中継施設のようでした。
現在のお花畑のところに籾倉(モミグラ)と呼ばれる倉があったようです。

潮の干満により風景が変わるらしい大泉水と呼ばれる潮入の池、お伝い橋を通り、中島の御茶屋の手前、池の中程から見ています。手前の島が小の字島、奥の建物が燕の御茶屋、左手の奥の方に三間橋があります。奥行き感がありいい眺めです。家宣の時代には中島には、現在工事中で見ることはできなかったですが中島橋がかかっていたようです。池の形がゆるやかな曲線、玉石敷きの護岸などで、石組みも目立たず、ぼーっと眺めるのに適した風景です。
お伝い橋は6代将軍家宣の時に初めてもうけられたそうですがよくわかりません。
しかしながら11代将軍家斉の時代、この浜御殿への御成は50年間に248回に及び、目的は鴨場の放鷹(ホウヨウ)であり、この時代に大改修され燕の御茶屋・松の御茶屋・鷹の御茶屋・新銭座鴨場などを設けたとのことです。庚申堂鴨場はこのときにの図にありますが、将軍になる前の安永7年(1778年)に築造されています。家斉の時に現在の姿の庭園になったようです。明治以降は浜離宮と改められ、迎賓・謁見の場として利用されたようです(パンフレットなどより)。

池の向こうには松の御茶屋があります。中には入れず、ガラス越しでは反射がきつくて中は見にくいですが、こちらから望遠鏡では少し見えそうです。左手には燕の御茶屋があり、その奥の方には鷹の御茶屋跡があります。

富士見山からの眺望です。富士山は画面から外れて左側になると思います。昔は見えていたのでしょう。この写真も高層ビルを避けています。

御亭山(オチンヤマ)から見ています。東京タワーは庭になじんでいる気がしますが、高層ビルは合わない感じがぬぐえません。もっと密集して壁のようになれば良いのかもしれませんが。右手の藤棚のところが小の字島、左手の屋根が中島の御茶屋です。

池の向こうは八景山と呼ばれる場所で、いろいろな風景を楽しめた場所のようです。そこに石組があります。これはお伝い橋の陰になり対岸からは見えないのですが、御亭山では高さがあるのでやっと見ることができます。これは何だろうと考えましたが、瘤のある鳥の顔ではないかと思うようになりました。青石が瘤、その右の石が目になります。

これは横堀の岬の先端に石が置かれていますが、水鳥の形に見えます。これとの関係です。もう少し見つかれば鳥をテーマにしていたと言えると思います。探してみてください。



鴨場の写真3枚です。最初は小覗きで、細いスリットから引堀に鴨をおびき寄せるのを見ます。2枚目は反対側でこの溝におとりのアヒルで鴨を導くようです。3枚目は大覗で、丸い穴から池の様子をうかがいます。大量に鴨を捕まえようとしていたのか、家斉はのめり込んでいたようですが、想像できません。
海手御茶屋跡、別名汐見の茶屋です。6代将軍家宣の時に建てられ、関東大震災で焼失したと案内板にありました。

追記:2016/05/16
 考えれば御茶屋の名前にツバメ・タカなどがもちいられているので鳥がテーマなのは当然でした。松の御茶屋の写真を追加します。ちゃんと鳥がいます。

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